安部公房が22歳の時に執筆した未発表作品が実弟宅から発見されて、新潮の12月号に掲載された。まあ、ニュースを知って開店と同時に本屋へダッシュしたよね。
で、文房具的に気になったのは、掲載されていた生原稿の写真。せっかくなのでキャプチャを取っておいた。安部公房といえば、あの特徴的な文字をすぐに思い出すが、人の字って若いころからあんまり変わらないものなのだなあと感心した。
その『新潮』で解説を書いていた加藤氏のサイト内に、雑誌掲載時には書ききれなかったという文章があるので、こちらもリンクさせていただこうと思う。→『天使』解説・拾遺
それによると、上記写真の原稿は「学用ノート配給株式会社製のA5版横書きノートを縦に使って」「左右数行を空白にして」書かれたものらしい。A5ノートって今もあんまり一般的じゃないと思うけど、当時はどうだったんだろう。中字くらいの万年筆っぽい、白黒写真だけどインクはブルーブラックかもしれない……
と、妄想が広がるのであります。確かに狭い机だと、B5を縦に使うよりはA5の方が書きやすいのかもしれないとか、それでも縦書きにこだわるのは日本人だなあとか。やっぱり万年筆はパーカー75だったりしたんだろうか。
やっぱり作家の生原稿というのは、なんだかわけのわからないエネルギーとか怨念とか情念とか込められていそうでものすごい迫力がある。現代作家の悲しいところは、PC使ってデータ入稿とかになってるだろうから、万が一後世自分の記念館とかできたとしても「これが生原稿です」(ドヤ って展示ができないことだと思う。神保町の古本屋で三島由紀夫の生原稿をうっとり眺めたりとか、そういうことができないのは悲しいと思うなあ。
私は安部公房の書く文字とか、三島由紀夫の文字とかすごい好きなんだけど、どっちも特徴がありすぎて、作者の人柄を妄想するとっかかりの一つになっている。宮澤賢治もなかなかどうして生原稿を初めて見たときには感動した。ああ、本当にこの人があの作品をこうやって書いていたのだなと(岩手の宮澤賢治記念館にて)印刷された活字の本ばかり読んでいると、そういう実感があんまりないから。印刷といえば古本を買って活版印刷だとラッキー、って思う。
そういうわけで作家の人はもっと生原稿を積極的に出していったらいいと思う。誰か引っ越し祝いに三島由紀夫か安部公房の生原稿くれないかなあ。家宝にするんだけどなあ。ちなみに宮澤賢治の複製原稿なら普通に買える。あと『雨ニモマケズ』複製手帳も売ってるけど、これは普通の手帳としては使えないのかな。余ったページも使えるようにしたらいいのに……まあ、手帳って使ったことないけどな。手帳に書き込むほどの予定がないよーー
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ブルーインクについてサーチして見つけたこちらのブログへたまにお邪魔していたら、なつかしい「安部公房」に遭遇しました。渋谷の山手教会の地下にあった安部公房スタジオへ通っていた頃、ベンツに乗って駐車場から出てくる安部公房を良く見かけた、かな~り昔の懐かしい光景がよみがえりました。
>copelさん
生安部公房、うらやましいです……私が安部公房を読み始めた頃には既にお亡くなりになっていたので、リアルタイムで読みたかったなあと。活字になっているものばかり読んでいると、これを生身の人間がかいているのだという認識が薄くなっていくような気がして困ります。
当時、スタジオでは、ダンボール箱に入った人々が何やらごそごそ動き回っていました。まさにリアルタイムで安部公房の世界に浸っていました。第4人称で楽しんでいましたね。とにかく面白かった。見られることを拒む箱男たちを目の当たりで見ていたのだから。そして、ステージとの間には壁があって壁がなかった。闖入者があっても日常みたいな世界です。でも、作品は生身の人間が書いているんだという認識がうすかったように思います。宇宙人がかいていると思っていたから・・・
追伸です。
当時は、自分の書いた文字や文章がその場で活字になるなんて夢のまた夢でした。すべてが手書きでしたから。安部公房もそんな時代にワープロを使ってデジタル時代の幕開けを楽しんでいたのでしょう。でも、ここまで活字・デジタルが普及すると、手書き文字はとても大切なもののように思えますよね。生身の人間が書いた証として。そして、深崎さんのすてきなブログはインク・ノート難民の箱舟のように思えます。安部公房の影響大なところも魅せられるし。
よろしくです。Copel
>Copelさん
いいなあリアルタイム……一番最初に読んだのが現国の教科書に載ってた『鞄』で、次が図書館にあった『壁』でした。懐かしいなあ。残念ながら演劇の方は全く見たことがないのですが……箱男、いいですねえ。
安部公房の作品を10代の終りから一気に読んで、30代の初めにまた一気に読み返してみたら、どはまりする作品が変わっていたり変わっていなかったりして、自分の方もずいぶん変わったんだなあとしみじみ思ったりもしました。10代の頃、面白さが分からなかった「R62号の反乱」が今になってすごかったり、『饑餓同盟』でうっかりなきそうになったりとか……
安部公房好きです。よろしくです。
このページに続けてていいですか・・・
なんだか、とてもうれしくなって来ました。ほとんど失っていた昔の記憶が次々にやってくるんですよ。安部公房な日々のこととか。
私も10代後半ごろ一気に読んで、作品だけではおさまらず、雑誌の対談記事や写真作品が載っていれば芸術新潮だの、スタジオや映画・・・安部公房の名前が出ていると無条件で飛びついていたんですね。そのほかピンクフロイド、武満徹、ドナルドキーン・・・
ほとんど安部公房オタク?でした。お約束のカフカにもはまりましたし。
ちょうど「さくら丸」が出たころでしょうか、学生時代の終盤に、入社試験用履歴書の「好きな言葉」欄に「死んだ有機物から生きている無機物へ!」なんて書いたものだから、面接官が奇妙な顔して「これはどういう意味ですか?」なんて聞かれました。(履歴書にそんなこと書くな!)やはり『壁』が原点だったのかな。
その会社には今も通ってますが、ほとんど「R62号」になりそうだし、すねからカイワレ大根が生えてきそうな日々ですね。また安部公房を読み返してみたくなりましたよ。何年ぶりかは聞かないよ~にお願いします。Copel
>Copelさん
ピンクフロイド……こないだ『カンガルー・ノート』を読み返したときに冒頭でいきなり名前が挙がってて、iPad探して聞きながらもう一度読み直したりしました。
安部公房は印象的なフレーズが多くて頭に残りますね。10代の頃に読んだときにはスルーしてたのに、今になるとひどく惹かれたり。『飢餓同盟』とか……名作というのは色褪せないどころか作者の手を離れた後も進化を続ける物なのですねえ。
ピンクフロイドをBGMに『カンガルー・ノート』を読む。これはナイスです。「The Wall」や「Echoes」、そして「The Dark Side of the Moon」は日本語題が「狂気」ですよ。安部公房そのまんまだし。シンセサイザーが幻想的でかっこよく、右脳がピクンピクン刺激されまくり。安部公房も好きだったらしく、良く聞いていたそうですよ。箱根の仕事場とかで。
それと『カンガルー・ノート』は、晩年の安部公房が夢の中でつぶやくレクイエムのように思うんです。オタスケ オタスケ オタスケヨってね。
印象的なフレーズ。『飢餓同盟』なら「現実ほど非現実的なものはない」かな。やはり当時はスルーしてたのか、あまり記憶がやってこないけど、「狂気」だったような、最後はちょっと悲しすぎだったような・・・『飢餓同盟』。深崎さんお勧めで、これも読み返してみたくなりました。今読むと「狂気」を通して何が見えるんでしょうかねぇ、楽しみです。おかげで、安部公房な日々が復活の予感。Copel
>copelさん
ピンクフロイドの日本語訳タイトルにはいつも笑わせてもらってますが……原始心母とかよくつくったなあとか。
なんか安部公房は定期的に読み返したくなりますね。なんでだろう。そして読み返すたびに印象が違うというのは、なんか、混沌を内包しているとか、そんな感じの中二病っぽいことを考えたくなります……